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写真は2015年5月11日撮影 なにかと「11日」という日は思い出深い日です。 師匠の誕生日だったり、アメリカ同時多発テロ、東日本震災もありました。 昨年の5月11日は、勝手な想像ではあるけどもおそらくオヤジが決断した日です。 もう家には帰れない、と。 祖母が亡くなり数年、やっと家を建て替え生活に馴染んできた矢先のことです。 3年間の闘病は静かながら激闘でした。 あの日、診察室に入るやいなや担当の医師から「どうする?入院する?」のいきなりの問いかけ オヤジは迷わずすぐにハイ、と返事。 最近の検査の結果は数値が悪かったことを家族皆知っていましたし 投薬・治療も様々工夫をしていましたから それを知った上での医師の問いかけにオヤジも悟ったのでしょう。 僕はいつかは宣告されるであろう父親の余命に怯えながら週3回の診察に付き添っていましたが その時は突然やってきました。 車椅子に座ったまま医師に返事をしたオヤジの背中、あの診察室の風景は今でも強烈に脳裏に焼きついています。 「ハイ」と答えた瞬間は寂しさを感じました。 オヤジとの時間が終わるんだと、すぐに思いました。 それまでは病気と共に生きて行ける、あと少し、もう少しだけ長く…と希望を持って過ごしていましたから、この瞬間は心の時計が止まったような感じでした。 病院の付き添いや両親の生活も助けながらで、財布も体力も正直きつかったのですが、 小さな頃あまり言葉を交わさなかったオヤジとの時間を穴埋めするかのように過ごした密な闘病期間は少しだけ有難くもありました。 ここからは辛い決断と大変忙しい日々の連続でした。 入院と言えど回復の見込みのない患者ですので、いつまでも東京医大にいることはできず ひと月ほど転院先を探しました。 この頃はハルのサッカー部員としての活動もあと僅か 夏季大会の予選リーグ2試合目に途中出場し得点をアシストしたことをオヤジに報告 オヤジは、僕には中学でスポーツをやってもらいたかったらしく(僕は美術部も途中でやめてしまった親不孝者) ハルがサッカー部を3年間続けていることはとても嬉しかったようです。 孫の成長を少しでも見せられたことは良かったなと思います。 よく病院にも顔を見に来てくれたし、同じ年頃の僕に比べれば良く育っていると思います。 東京医大でのひと月はまぁ、本当に色々あって書ききれないほど。 よく耳にする問題も出てきたりして、オヤジに強く当たってしまったこともありました。 今思うとそれは後悔しています。 やがて転院した病院では医療を受けるというより福祉を受ける感覚でした。 終末医療、て言うのでしょうか。 さて、ここからは先はまた後日 胸が張り裂けそうなのでもう書くのをやめます。 _ それから約2ヶ月、あの暑い夏の日を迎えるまではあっという間でした。
by BELLPHOTO
| 2016-05-11 23:21
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